土方歳三と榎本武揚

熟老の修学旅行は3日目を迎えた

ホテルでのビュッフェスタイルの朝食から体調は万全だった

師の妻女は食べられないと言いつつも見事完食した

若い二人は朝カレーで締めた

4人とも昼は食べられないほど満腹だった

 

秋空の下土方歳三が松前を攻めた道をなぞる

函館から国道228号線を80㎞海岸沿いに走る

途中当別のトラピスト修道院に立ち寄る

北海道で酪農を始め乳製品を作った聖地だ

赤とんぼの作詞家三木露風夫妻もここで生活していた

正門から津軽海峡に真っ直ぐに延びる坂道の風景に心奪われる

坂道を迂回して杉の木の山道を往復しながら森林浴を楽しんだ

 

新幹線の北海道入りの最初の駅木古内を過ぎ

小さな町の高校が甲子園を湧かした知内に入り高校野球の話題になる

町外れの新幹線の出入り口を左に見て福島に入る

大相撲の千代の山と千代の富士を傑出した小さな町に記念館が威風堂々と建つ

 

福島から土方軍は苦戦を強いられる

松前軍は防衛戦を退きながら次々と町を焼いてゆく

11月酷寒の戦場に宿泊する場所を奪われていく

歳三は野営すらできぬと強行に行軍を鼓舞する

大砲も弾丸も担ぐ銃も兵糧も人力でもってする行軍の悲壮さを想う

止まれば凍死するこの道程を車で走りながら必死の進軍を想像した

 

ようやく松前に着いた

城の駐車場は2台しか止まっていなかった

三層の小さな城は土方軍を撃破する大砲での攻防も城門を破られる

展示を見ながらここには屏風図や書の類いが多かった

代々の城主は絵師や書道家そして歌人のパトロンだった

アイヌに襲われることを警戒して辺地に城を築いた

幕末まで交易の場所として栄え文化を愛でた場所にいた

松前桜をロンドンの南東ベネンデン村に植樹する記事が道新に載った

100年前に貴族だった祖先が桜と出会い庭園に植えていたという

1993年桜守淺利政俊さんが英国王立公園から松前桜を購入したいとの依頼を受けた

2次大戦時多くの英兵が収容され苛酷な環境の中落命した函館捕虜収容所

その償いの意味を込め平和と友好の印として無償で提供したという

師夫妻は春に桜を観に来た昔を懐かしみながら散策した

 

海岸線を走る

津軽海峡と日本海の境が檜山地方に入る

松前を落とし江差をめざして行軍は続く

榎本武揚は土方軍の応援のために軍艦開陽丸で江差に向かう

シップ型の3本マスト補助エンジン付き

真ん中のメインマストの高さは最大で45メートル

全長72.80メートル排水量2590トン速力10ノット

乗組員は約35050026門もの大砲を備える

主砲であった16サンチクルップ砲は当時最新鋭で射程距離は約4kmを誇る

当時最新鋭のドイツ製クルップ砲と砲弾その他銃器や薬など完全装備だった

 

18681115日江差特有のたばかぜにも似た暴風雨に見舞われ

かもめ島近海で開陽丸は無惨にも座礁し沈没する

島はニシン漁や北前船交易の舞台であり自然の良港だった

箱館戦争の海戦はここでピリオドを打ち戦いは劣勢の一途を辿る

榎本は海戦すら出来ず五稜郭に立てこもったが為に敗れる

防衛力が欠落した五稜郭での敗戦はセオリー通りだった

土方歳三は市中に出て最期の名乗りをあげるしかなかった

 

島にある青少年研修センターに係留されている復元された開陽丸に逢いに行く

帆を張ったときの船の優雅さと勇壮さを想像する

甲板で煙突と帆柱を見ながらカメラのシャッターを押した

師夫妻をモデルに撮りまくった

艦内に下がると海中から引き上げられた遺物が所狭しと展示されていた

遺物の洗浄に江差高校生が携わったことを知り頭が下がった

師と念入りに調べ物をして望んだ箱館戦争歴訪の旅は終わった

 

陽光は日本海に映し出された

車は熊石から八雲に通じる峠に入った

道南の紅葉の名所はまだ色づきが薄かった

曇が広がり景観はさらにダウンした

渓谷の紅葉狩りは次回の宿題となった

太平洋を臨むと晴れ間は広がり道央道に無事入る

 

農民である土方歳三は武士道に殉じた

幕臣である榎本武揚は捕縛後許されて北海道に功績を残す

榎本が見つけた石炭層はその後空知の炭鉱を次々と開発してゆく

次に使役に駆り出された空知監獄の囚人たちの黒い歴史を探索する

明治という歴史に翻弄された人たちから学ぶ塾老の探訪の旅は続く

 

20221016日書き下ろし。三日間の歴史探訪の旅は天気に恵まれ、満喫した。師は来春東北での幕末維新の歴訪をしたいという。愉しき計画づくりが始まる。その前に監獄跡の歴訪が待っている]

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