1999年12月1日の新聞記事
色あせた新聞記事が数冊ファイルにあった
その中で茶けた表紙のスクラップファイルを整理した
新卒で赴任した小学校での新聞記事
道新の昭和51年(1976)10月22日が最も古かった
8人の子らとのわら細工の実践が朝のNHKTVでも放映された
平成12年(2000)8月の記事には森喜朗首相の私的諮問会議「教育改革国民会議」が
奉仕活動を義務づける提案をしていた
座長のお茶の水大森隆夫教授と道新で紙面論壇をした記事だ
子どもの心を奉仕で変わるかというテーマで提言に真っ向から反論した
文科省寄りの道教委の職員でありながら異議を唱えた異分子だった
全道全国でボランティア学習・福祉教育の授業や事業に深く関わっていた
前年には北海道で初めて全国ボランティア研究集会を開催し事務局を担った
ボランティア論は道新でコラム「ボランティアいろは塾」を執筆していた
スクラップから1999年12月1日の記事に目を奪われた
中高生の投稿で編集された「ヤングすぺしゃる」だ
見出しに「授業つまらぬ質の低い教師」
高校生が進学校で味わうベテランの教師の授業のつまらなさを指摘する
しまいには勉強のやる気を失いここに来たことを後悔すらしている
教師はいつの時代でも授業力が全てだ
アクティブラーニングなど主体的学習も基本の授業力がなければおぼつかない
忙しいと嘆いてこぞって庇い立てするも教材研究すら当てにはならない
面白い授業の展開は子どもを夢中にさせる
福祉の授業など見たこともしたこともない教師たちに出前授業で勝負する
真剣勝負を仕掛ける醍醐味はコロナ禍でその機会を失ってしまった
もう一つの見出し「校内でのいじめ先生は見ぬふり」
いじめを容認する教師への不信を募らせた中学生
いじめの原因をできるだけ子ども同士にする陰険さが読み取れる
不登校の原因に教師と合わない・怖い・体罰・不信感が挙げられている
自死の問題も学校には直接的な原因はないかのような不明件数がすこぶる多い
謎解きは簡単至極学校とは無関係だったと内部調査を報告するだけでいい
教師がたとえ問題を起こしても懲戒は減俸程度で済まされる
よほどでない限り懲戒免職はないし停職程度でも現場復帰は叶う
1986年「葬式ごっこ事件」を思い出す
学級担任がいじめに加担して中野富士見中学の男子生徒が自死する
担任は生徒に口止めをし自死した生徒に原因があるかのような発言をする
学校の隠蔽体質が暴かれた事件であり校長と二人の教師が依願退職した
懲戒免職とは全く異なり退職金も支給され転職したことだろう
日本で初めて教師が絡んだいじめによる自死というセンセーショナルな事件だった
それから13年たった99年教訓は元の木阿弥と帰す
いまも子どもをしばく教師たちが我が物顔で君臨する
彼らは教育的指導という名の下に正当化してはばからない
傍観という加担を恥じない教師たちが幅を利かして子どもを畏縮させる
「葬式ごっこ事件」から何も変わらない学校という檻の中を知らされる
忙しいと言うだけでマスコミが擁護する
忙しいと言うだけで手抜きが容認される
忙しいと言うだけで下手な授業も見逃される
忙しいと言うだけでコミュニケーションは終わる
忙しいと言うだけで聖域にバリアをめぐらす
さあ反論を待とう!
[2023年12月28日書き下ろし。一部の者の悪しき行為を傍観し無視する教師やその集団がそのものを助長させている現実を否定できるか、知りたい。札幌で初めて起こった中学生の自死事件も黒塗りの報告書を渡して誰に謝罪したのか皆目わからない。市教委の教育長の発言は他人事のようで、学校と教員と加害者を庇うようにしか見えなかった]