父國一を想う
苦悩と苦難の青春だった
逃げられないと腹をくくった
樺太静香から本土に単身渡った
数え年17歳の軍国少年だった
戦うこともなく敗戦した
傷心の19歳は親元に帰った
引き揚げてきた登別では老父勢吉がいた
勢吉の妹は静香で置屋にいた
妹タケは食い扶持を求めて鵡川で後妻に入った
鵡川の叔母を訪ね漁師をした
荒んだ心の吐きどころを欲していた
21の時嫁をあてがえば落ち着くだろう
老父は樺太で気性を知った娘を呼んだ
大阪に戻っていたユミ子は赤い服を着て嫁に入った
富士製鉄(日本製鉄の前身)の薄板工場で働いた
酒を浴びるほど呑みながら運命に抗った
ネガティブな感情は抑制できなかった
ユミ子は流産した
その後すぐに妊娠して俺を産んだ
22歳の青年は父親になった
男気だけは溶鉱炉の現場で下の信望を得ていた
俺は75歳を数えていた
父國一が鬼籍に入った74歳を超えた
世界恐慌が始まる2年前の1927年に生まれた
激動の昭和初期に幼少期を過ごした
太平洋戦争の開戦は多感な少年の一生を狂わした
存命していれば今日97歳になる
不遇な軍国少年の慈愛の深さを知った
娘琴代が交通事故死したときに一人泣いた
その情愛は俺にもきっと流れていることだろう
生き残ったからこそ俺がいる
感謝しかない
〔2024年10月26日書き下ろし。父の誕生に想いを馳せる〕