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12月, 2024の投稿を表示しています

ふり向かず前に

降り積もる雪が悔恨を閉じ込める 時に曖昧にしてきた悔悟を埋める 向かう明日に気力を備えよと檄される   過去との決別の日となる大晦日が来た 残されるいのちの時間に存在を問う 気負わずさりげない心で明日を待つ   人間としていかに生きるか 得がたい人との絆を確かめ合う 生老病死の宿命に向き合う明日がある   ふりむかず前に 降り積もる雪はいつも希望が融かす 生かされる理由を明日も問い続ける   〔 2024 年 12 月 31 日書き下ろし。 2024 年最後の投稿詩編。どのようにまだ生かされるのか。好奇心が疼く〕

若者よ燃焼せよ

若者に問う 熱くなることはあるか 荒ぶる憤りではない ゲームの勝負でもない スポーツへの傾倒ではない 意見の衝突でもない   若者に告ぐ 湧き上がる熱きものから目をそらしてはならない 感情とは異質のエネルギーを冷静に区別せよ 言葉では表せない何に惹かれたかを明らかにせよ 出会い頭のような強い衝撃は動かない限り起こらない 怠惰ないまの暮らし方に厳しく猛省を与えよ   若者に再び問う 生きている実感をどう考えているのか 周りの空気に安易に同調してはいないか 判断を他人に預けてのうのうとしていないか 現状を容認して改善を諦めてはいないか 持てる力を発揮する目標を失ってはいないか   若者に告ぐ 目的をもって努力せよ 目標に向かって邁進せよ 関心と好奇心を高め自らを磨け 困難と挫折に心折られても奮い立て 人との関わりと信頼が生きる力となる   若者にあえて問う 果たして世に存在するいのちと向き合っているか 果たして世の偏向な情報と低俗な文化に身を置いてはいないか 果たして世では叶えられぬ夢とやりもしないで吐き捨ててはいないか 果たして世に求められるに値する熱きおもいと行動はあるか   若者に告ぐ 世の不条理に目を背けることなかれ 世に認められないことを嘆くことなかれ 世に友とある己自身を裏切ることなかれ 世を変える精魂込める情熱を失うことなかれ 世は君たちの熱量が拓いてゆく未来を信じよ   〔 2024 年 12 月 29 日書き下ろし。若者たちへの熱きメッセージ。まだ伝えきれないことが残されていた〕  

心の借金

年の瀬に思う心の借金 恩の貸し借りなのか 天秤架けてみようか   今年も無事長らえた 恩ある人たちからのギフト 天秤は借りに大きく傾いた   今年は新境地も見られた 新たな恩を授けられた 天秤はまた借りに動いた   今年も多くの詩を書いた 心動かす人に出会えた 天秤は少し貸しに動いた   今年は老いを共にした 師に老いの心根を学ぶ 天秤はまた借りに動いた   今年も家族が無事だった 妻も娘も孫も健在だ 天秤は動かなかった   年の瀬に計る心の借金 天秤は借りに傾く 返すに返せぬ借りこそが心の財か   〔 2024 年 12 月 29 日書き下ろし。人との関わりを損得勘定では計れないほどの、恩という心の財をいただいた〕

仮面の国に生きる

仮面の国は偽装の国   仮面の国に生きる大人となる 仮面を付けなければ生きられない 仮面はしばし己の顔になる 教育とはどんな仮面が似合うかを学ぶこと   仮面は虚妄な大人にする 偽りの己を生きるしかない 偽って相手の弱みにつけ入る 教育とはいかに騙すかを学ぶこと   仮面を剥ぎ取る子どもがいる 仮面の欺瞞を見抜く 無垢な心に恥じぬ道を求める 教育とは真っ当なことを学ぶこと   仮面を叩き潰せ 臆病を突き放せ 諦めを吹っ切れ 疑心を追い払え   仮面を付けて大人になる 仮面は成長にともない身を守る 素顔では餌食にされる 教育とは己を粉飾するスキルを学ぶこと   仮面を付け替えながら大人となる 仮面は成長のたびに醜くなる 夢は無残に打ち捨てられる 教育とは夢を諦めるかを学ぶこと   仮面を拒む子どもがいる 大人への不信感が強まる 本意を問う道を求める 教育とは洗脳に気づくことを学ぶこと   仮面を脱ぎ捨てよ 正義を語れ 真偽を探れ 徳性を磨け   仮面を嫌がる子どもがいる 醜い仮面に耐えられない 情愛を深める道を求める 教育とは愛することを学ぶこと   仮面を壊す子どもがいる 事実と正面から向き合う 智を鍛える道を求める 教育とは道理を為すことを学ぶこと   仮面を燃やせ 誠意の獲得 真理の探究 仁愛の陶冶   [ 2023 年 2 月 4 日書き下ろし。仮面の国に生きる。審判の日はいつかくるのか]

流れゆく時に

師を慕う人が蕎麦屋に集まる 定例の蕎麦会 大盛りの鴨南蛮セイロに舌鼓を打つ   師は流れる時の早さをしみじみと語る 老いていく身を実感として語る 蕎麦屋の階段をまだ上れることに安堵する   帰りの車中 今年もお世話になったね ねぎらいの言葉をかけられた   なんもです こちらこそ   おかげで今年も無事すぎる ありがたいね   こうしてご一緒に年を取っていきましょう ありがたいですね   老いる身を互いに案じて支え合いましょう 悔やむことなく老いに向き合い励まし合いましょう 老いを受け入れつついまを語り合って生きましょう   いろいろあった 1 年も穏やかに年の瀬を迎える いろいろある新年も時の流れに身を置きましょう

友とする自分

憎めないやつだった 悩んだときはいつもそばにいた 弱気で挫けた心を支えてくれた   憎むに憎めないやつだった できなしをいつも庇ってくれた できるぞと暗示をかけて挑ませた   頼もしいやつだった 人生の岐路にいつも立っていた 自信を持てと励ましてくれた   臆病なやつだった 弱虫でいつも粋がっていた 逃げてはならぬと制してくれた   涙もろいやつだった 堪えきれずにいつも泣いた 悲しみに耐えれと一緒に泣いた   鈍くさいやつだった 失敗を笑われていつも拳を握った 悔しさを劣等感にするなと諭された   憤るやつだった 子らの不条理にいつも悔しさを吐いた 粗末にされてはならぬと一緒に闘った   仕事に熱いやつだった 求められればいつも全力だった 誠心誠意尽くすことを旨とした   人間くさいやつだった 人の世話をいつも焼いていた 信頼が一番だと教えられた   人恋しいやつだった 妻も子もいつも慈しんでくれた 人との絆を大事に育むと約束した   長い付き合いのやつだった ドロドロとした情念と生きてきた 友としてそれなりにいいやつだった 嫌でももう少し一緒に歩こうか   〔 2024 年 12 月 27 日書き下ろし。友として向き合う自分の本性を知る〕

これからも書くだけのこと

2022 年に書いた詩 333 編 コロナ禍の真っ最中 政治と暮らし方が中心だった コロナで困窮した苦い日々を記録した コロナで迷走した安倍政権を切った   子どもの詩があまりにも少なかった 関心は子どものいじめと自死だった 学校と教師の抱える問題はいまも変わらない 生き方の詩があまりにも少なかった 社会や政治への憤懣を優先した 老いていくいま内面との対話が始まっていた   忘れ去れていく時代の記録だった 誰もそれを見直すことはない 自民一党で支配した時代の抗いだった 誰もそれを気にかけることはない  朽ちてゆく憂鬱な時代の詩だった 誰もそれに関心を示すことはない 自分の生きた時代を書き綴った印しになった 誰もそれに価値など見出すこともない   2023 年には 423 編の詩をアップした どんな傾向だったのか確かめよう きっと政治への切り口は剃刀だろう  子どもへの関心が衰えてはいない 振り返りながら自分史を刻み続ける 感性が鈍くなるまで書くだけのこと   2024 年の終わりを前にして思う 詩文に人生の仕舞い方を託していこうと Blog を読んでいただける方への感謝を込めて   〔 2024 年 12 月 26 日書き下ろし。今年も 400 余編の詩を up する。書くだけの日々を喜ぶ〕

立ち振る舞いと躾(しつけ)

小学生の頃だった 祖父母と三人での夕食時だった その躾はいまでも鮮明に思い出す 飯茶碗を持ちながら汁椀の具を取った カズ茶碗は逃げないぞ 祖父は優しく諭した それ以来祖父の躾を守っている   貧しい食卓であったが行儀の良さを静かに教えた 祖父は樺太時代は羽振りが良かった 引き揚げてきてから日雇い労務者になった 曲がったことの嫌いな律義な祖父だった   立ち振る舞いを躾ける 挨拶の仕方 お辞儀の仕方 挨拶の仕方 言葉遣い 食事の作法  幼きときから身につけなければならぬ   人とのつながりを円滑にする できるだけ互いに不快な思いをせぬようにする 信用の是非をはかるものさしともなる 行儀の良さは人格形成にも影響する さらに家庭での躾が試される 失敗すれば世間の笑いものになるリスクを負う   なぜ躾けるのか 世間を滞りなく暮らすための処方術か 一度身につくと案外気楽なものかも知れない   〔 2024 年 12 月 25 日書き下ろし。なぜ躾けるのか? どう躾けるのか?〕 

はばける (再掲)

意外性のあるのがいい 思惑を裏切るのが面白い 型にはまらないのが一番だ   他人(ひと)の噂話はドブに捨てよ 他人の評判など喰えない代物と知れ 他人の見立てなどくそ食らえ   予想もしない展開 予期せぬ顛末 予感すらない結末   持てあますのがいい 縛られないのがいい 決められるのがいい   はばけると世界が変わる はばかると世界は縮まる はばけると自由になる はばかると拘泥される はばけると未知の自分を知る はばかると未熟な自分を知る   人間のはばは「ける」と「かる」の違い 「ける」は世間の干渉を「蹴る」こと 蹴るだけの才覚がいつも試されるのがいい 「かる」は世間が抑圧で「駆る」こと 空気を読まされ駆るだけのことでしかない   はばけるとはばかるは世間を渡る処世術 ヤジロベエの傾きで自分らしさを嗅ぎ分ける はばけるとはばかるは世間を読み抜く処世術 ヤジロベエの傾きで素早く状況を読み解く はばけるとはばかるは世間を生き抜く処世術 ヤジロベエの傾きでアクセルとブレーキのタイミングを計る   はばかることは人生の自重を強いられること はばけることは人生の可能性に挑むこと はばかることは人生のリスクを知ること はばけることは人生の深みを感じること   はばけることで自分を生きるを知る   ※駆る:追いたてる。せきたてて追う。   [ 2022 年 8 月 29 日書き下ろし。はばけるとは北海道の方言で入りきれない、収まりきれないという意味。はばけるにはエネルギーが必要だ]  

泥臭い生き方

洗練されることはない ひたすら泥臭くありたい おもいのままにありたい 野暮ったくてもいい ありのままでありたい   着飾ることもない ひたすら泥臭さを押し通す 気遣うこともなくいたい 気兼ねすることもなくいたい 素のままでありたい   気取ることは全くない ひたすら泥臭い言葉で語りたい たとえ拙い文でもいい 文才がなくともいい あったかいと言われたい   気構えることはいらない ひたすら泥臭く求める道を歩みたい 認められることもない 褒められることもない これでいいと納得すればいい   気難しいのではない ひたすら泥臭くありたいというだけだ 時には社会のありように抗いもだえる 時には人のありように失笑をもらす ただ否定することなく受け入れる人がいる   気恥ずかしさも棄てた ひたすら泥臭いと笑われても振り返らない 奇跡のいのちを自由でいたい 世間の慣習と偏見から逃れられたい それでもひとりでは生きられない   気丈夫でいたい ひたすら泥臭く信じる人がいる 共感をもってつながる人がいる 仕合わせを分かちあえる人がいる これが人生だと共に語りあえればいい   〔 2024 年 12 月 24 日書き下ろし。泥臭さとは何か? 素の求める己の姿か〕

ボクの心に土足で入ってこないで

二人の幼子がいた   サンタはいないよ イブのプレゼントはパパやママさ サンタが世界中の子どもに配るなんて噓さ それを信じるなんてなんてバカなんだ   サンタはいないってなぜわかるの ボクは夢の中でいつも会ってるよ 信じるとか信じないとかじゃないんだ サンタはボクの心の中にいるんだ それがどうだというんだい   サンタがいない そういうキミもプレゼントはもらうんだろう ただプレゼントをもらうだけのイブなんだね サンタがいない心の中はからっぽだね なんてさびしい夜なんだろう   サンタがいなくてもいい 噓つきよりはもっといい 信じるなんてどうかしてるよ 見たこともないことを信じるなんて ボクは噓なんて信じない   神様をキミは信じてる? 見えなくても信じる人はたくさんいるね 見えないものはみんな噓なの   きっと信じる人には神様はいるんだよ ボクは神様のことはわからない でもサンタはいる そう思うだけでもなんだかあったかい 世界中の子どもたちを想像してごらん みんな笑顔でサンタを待っているんだ   イブは世界中でイエスキリストの誕生を祝う日 キリスト教を信じなくても祝うよね なんか変だよね でもなんかすごく嬉しい   心待ちにしたものをプレゼントされるイブ ドキドキしてなかなか寝つかれない長い夜 サンタの代わりのパパでもママでもいいんだ だってサンタはボクの心にずっといるから だからね サンタはいないって ボクの心に土足で入ってこないで   信じるってね 心に夢のカタチをつくることなんだ 心に幸せのカタチを見ることなんだ   〔 2024 年 12 月 24 日書き下ろし。心にサンタが住み着いた子は、大人になってもファンタジーな心を大事に育てていく〕

とろくさい

あそんだあとのおかたづけ まだちらかってるよ めんどうくさってふくれっつら キミのそのかおもかわいいね ひとつずつでいいからね ゆっくりでもいいからね ひとりでやってごらん もうママは手はかしてあげないよ   ひとりでできれば すこしおおきくなったということ ひとりでしなければ いつまでもあかちゃんかな ひとりでやれたら これかもあそべるよ      あそんだあとのおかたづけ さあもうすこしだね キミががんばるかおがすきなんだ だんだんいいかおしてきたね ママはおしごとするけどいいかな もうそばにいなくてもいいよね   ひとりになってもだいじょうぶ みていなくてもだいじょうぶ もうすぐだからだいじょうぶ   ひとつずつ とろくさくともできるんだ とろくさくてもいいんでしょ とろくさいのもかわいいでしょ   〔 2024 年 12 月 24 日書き下ろし。おもちゃを片付ける幼子の姿が愛らしい〕

世間をかきまぜよう

うっとうしい空気が支配する 悪臭を醸す空気が支配する 薄汚い淀んだ空気が支配する 興醒めした空気が支配する   世間という空気のような圧力に身を置く 世間という曖昧なルールに身を任せる 世間という理不尽な束縛に身を委ねる   抗えない世間にさらされる 反意できない世間にさらされる 非難される世間にさらされる 悪意に満ちた世間にさらされる   空気をかきまぜよう 世間に毒されれば窒息する 世間に服従すれば窒息する 世間の呪縛を解かねば窒息する 世間の悪しき慣習を壊さねば窒息する   世間体を気にする風潮から解放しよう 世間体に振り回される暗示から醒めよう 世間体という体裁を繕う気構えを捨てよう 世間体という暗黙の了解を拒否しよう   〔 2024 年 12 月 18 日書き下ろし。宗教という律する規範がない日本社会。いまだ世間が社会に暗黙のなかで息づく〕

ぶっちゅーんしよう

魔法の呪文ぶっちゅーん みんなのこころに魔法をかける   涙をいっぱいためたきみ お友だちにいじわるされたの まずは泣き虫やっつけよう きみの涙にぶっちゅーん たちまち笑顔になっちゃった   つぎはいじわるしたきみ いじめ虫をやっつけよう きみのえばった顔にぶっちゅーん たちまちごめんとあやまった   失敗してしまったきみ お友だちに笑われてしまったの まずは恥ずかし虫をやっつけよう きみの赤い顔にぶっちゅーん たちまち勇気がわいてきた   つぎは笑ったお友だち 小バカ虫をやっつけよう にやにやほっぺにぶっちゅーん たちまち恥ずかしくて逃げ出した   なくしものをしたきみ 大切にしていたものだったの まずは困った虫をやっつけよう きみの泣きそうな顔にぶっちゅーん たちまち見つかるまで頑張るぞ   大事なものをかくしたきみ いたずら虫をやっつけよう ずるがしこい顔にぶっちゅーん たちまちごめんと差し出した   悲しそうなきみ ママが風邪を引いて寝てるんだって まずは心配虫をやっつけよう きみのべそをかいた顔にぶっちゅーん たちまち笑顔がもどってきたね   つぎは寝ているママ 風邪の虫をやっつけよう はなれてママへぶっちゅーん たちまち元気が戻ってきたよ   困った顔のお友だち ひとりで悩んでいたんだって まずはひとりぼっち虫をやっつけよう きみのさびしい顔にぶっちゅーん たちまち大丈夫とみんなが言った   魔法の呪文ぶっちゅーん 涙をふきとばすぶっちゅーん みんなのこころにきっとある   〔 2024 年 12 月 19 日書き下ろし。こんな呪文があると心があっったかくなるね〕

お母さんが多すぎる(再掲)

お母さんが 車にはねられた お母さんが 病院のれいあんしつにねかされていた お母さんを かそうばへつれていった お母さんが ほねになってしまった  お母さんを 小さなはこにいれた お母さんを ほとけさまにおいた お母さんを まいにちおがんでいる   小学 4 年生の母をなくした子の詩である 担任は「お母さんは最初の 1 行書けばいい」と指導した 子どもは書き直そうとはしなかった   子どもの母への強い慕情を受け止められなかった 詩のテクニックをここぞとばかり指導する担任 子の切ない悲しみは連続する「お母さん」に表れる   子どもの感性の鋭さを知らずして技法に走る 子どもの切実な訴えを軽視して技法に拘る 子どもは書き直しを拒絶する   どんなに母を呼んでも二度と会えない その悲痛なおもいに寄り添いたい 試されるのは担任の死生観なのだ   教師の指導の怖さを知らされた 詩集に掲載し評価されることを念頭に置く 教師の指導の質を子は見切った 母を亡くした強い喪失感を繰り返し訴えた 教師の指導に屈せず子は自分を主張した 吐いた言葉の重さこそその子の本心を物語る   [ 2022 年 7 月 3 日書き下ろし。朝日新聞「日曜に想う」( 21 年 2 月 21 日)で紹介された児童詩集「青い窓」から子どもの詩を引用。教育の質は教師の質に比する。我もまた同罪だった]

お行儀がいいわね

お行儀がいいわね いつもほめられる だからママもやさしくなるよ   お行儀がいいわね ほんとはそうしたくない だってママがこまったちゃんになる   お行儀がいいわね たまにそういわれる いつもママはそうしてねって   お行儀がいいわね すきなおばちゃんだからね だからママはあきれたかおをするよ   お行儀がいいわね つかいわけするからね だってママからごほうびでるんだ お行儀がいいわね そうしてればしかられないもん いつもママはピリピリしてるからね   お行儀よければ だれからもほめられる お行儀悪いと だれもがいやな顔をする 一番困った顔をするのはママ 内緒だよ ママを助けてあげてるんだ   〔 2024 年 12 月 23 日書き下ろし。子どもも世間を上手に渡るお行儀のスキルとノウハウは学ぶ〕

ペンギンさんのお通りだい!

保育園の可愛いおさな子 冬の日差しを浴びながら お外に出ます でこぼこ道を 一列につながって ペンギンさんのように愛らしく 朝の散歩に お出かけします   可愛いペンギン ヨチヨチと 歩く姿はユーモラス 時々止まって 後から続く子を待ちます 目が合いました つぶらな瞳が ほっこりと語りかけます こころがつかまれ おはようと声かけました   可愛いペンギン キョトンとした表情を崩さずに 歩き出したその瞬間  片手を振ってバイバイ返してくれました その立ち振る舞いこそ 今日一番の贈り物 こころは何だか 夢心地   可愛いペンギン 色とりどりの防寒具に身を包む  ヨチヨチ歩く後ろ姿を見送ります スベりそうになりながら 元気な一歩踏みしめる こころはさわやか ただただ無事を祈ります   札幌のビルの谷間の冬の風物詩 ペンギンさんのお通りだい!    

永遠の生徒

一体何を学んできたのか   ものの考え方 確固たる信念など持ち得なかった 思想らしきものは持ち合わせなかった 大げさに理念をかざすこともなかった 目の前の問題をひたすらこなすだけだった 前に道はなかった 確信の乏しいままがむしゃらに道をあけた 傷つけたことも傷つけられたこともあった 正しいとか正しくないとかは結果に過ぎない 場数を踏んだしゃべりは常に実直でありたかった 書き残したレポートには揺らぎながら考える自分がいた ひとつだけ何を学んできたのか いまになって先駆者としておごりが頭をもたげる   ものの見方 人を見る目はいかんして未熟のままだ ただ信じることしかできない 裏切られればしかたないと受け入れる 幸いなるかな人の運には恵まれた 道を開いた先に必ず佳き出会いが待っていた ものの価値は値段でしかないはかれない 相応のものはまず手にすることはなかった 安物買いの銭失いを懲りずにいまもいる 世の中を見る目は学生運動の名残か辛辣だった 政治も経済も教育もそして福祉も心配の種が満載だった 人が動かすことだけにうとましい事態は後を絶たない ひとつだけ何を学んできたのか いまになって浅学を恥じる   ものの考え方や見方はどう育てられてきたのか 記憶のない幼児期にその原型があったのだろう 世間や学校というゆりかごでさらに同質化されたのだろう 時代の風潮を浴びながら従順を求められ成長してきたのだろう 考え方も見方も未成熟なまま社会に出て大人になった気でいたのだろう 何を学んできたのかと問ういまを無学と答えるしかない   〔 2024 年 12 月 22 日書き下ろし。同質の価値観を教化された怖さを知る〕  

薄っペらさ

薄っぺらな威光 強請された信仰 形骸化する崇高 屈辱的な拝謁 好戦者はその陰で人心を操る   薄っぺらな存在 その他大勢の民衆のひとり 被支配者の下僕のひとり 非条理な蔑視を浴びるひとり 支配者は飴と鞭を使いこなす   薄っぺらな理念 ぬるま湯の平和への疑念 敵愾心を煽る非戦への反意 虐殺の過去との決別 支配者は戦意を昂揚し悦に入る   薄っぺらな存在 抗えない無気力なひとり 自意識の薄い弱者のひとり 施しに感謝するひとり 支配者はその存在すら無視する   薄っぺらな現実 ただ生きてゆくだけの人生 ただ与えられるだけの暮らし ただ差し出すだけのいのち 支配者は欲望すら統制する   〔 2024 年 12 月 22 日書き下ろし。戦火の支配システムのあり方と国民の失望や失意を想起する〕

支配から占領へ

支配とは国民を飼い慣らすことでしかない   飼い慣らされた者たちは 飼い慣らされていることに何の疑念もなかった 飼い慣らされていることすら何もわからなかた 飼い慣らされてきたことをそのまま引き継いだ   飼い慣らした支配者は 飼い慣らすことに注力した 飼い慣らすことを教育とした 飼い慣らすことに成功した   飼い慣らされた者たちは 法と秩序の下に管理された 自由と権利は制限された 納税と兵役が義務だった   飼い慣らした者たちは 治安と検閲を重視した 言論と行動を規制した 労働と搾取を強要した   飼い慣らされた者たちは 羊のような従順さを求められた 愛国心を精神的支柱に据えられた 支配者を崇め称えることが賞賛された   飼い慣らした者たちは 栄華と富を独占した 神からの啓示と信仰を誇張した 敵対心を煽り領土の拡張を狙った   飼い慣らされた者たちは 暮らしに窮乏する 打開する能力も気力も喪失した 施しを受けることに慣れてしまった 生命も財産も支配者の手中にあった   飼い慣らした者たちは 情報統制にやっきになった 反動分子の制圧に血眼を上げた 支配者は国の占領者になっていた   〔 2024 年 12 月 21 日書き下ろし。戦局を抱える指導者に、国を支配するのではなく、占領者としての振る舞いを見る〕