災害地から遠のく
阪神淡路大震災から30年
98年には神戸で全国ボランティア研究集会を開催した
ボランティア元年を振り返る
NPOの法人化についても論議した
15年前には追悼の灯火の前で合掌した
99年北海道で3000人を集め「ボランティア文化」をテーマに開催した
実行委員会の事務局を担い道内のボランティア運動を活性化させた
開催後北海道ボランティアコーディネーター協会を設立した
全国で先駆けてボラコの役割と社会的市民権の獲得をめざしネットワークを作った
それから10年がボランティアの意識啓発や社会的運動に光が当たった
NPO法人が行政に取り込まれていく流れが市民活動を衰退させる
いまでは全国規模のボランティア集会を市民サイドで運営などあり得ない
2000年有珠山噴火では道ボラコ協会が動いた
全国から集まったボランティアの支援金を有効に活用した
避難所後の仮設住宅での高齢者支援に1000個の湯たんぽを配った
洞爺湖温泉町の被災者の一時帰宅に合わせてヘルメットの供給や
近隣の社会施設などへのヘルメット配置も行った
TOYOTAやMAZDAなどの自動車メーカーから供給された
2004年新潟県中越地震が起こった
復旧後まもなく道ボラコ協会の若手理事二人を現地に派遣した
災害後の現場をしっかりと視察してくることが協会の知恵袋となる
その二人はいまもそれぞれの職場で中堅となり全国でも活躍している
別の一人は災害支援のエキスパートとして全国を飛び回る
2008年には長岡を中心に現地を見て回った
2011年東日本大震災が起こり3度被災地に出向いた
特に石巻市大川小学校には必ず立ち寄りつぶさに現場を見た
裏山に逃げれば助かった命であったことを悔やまずにはいられなかった
なぜ30分以上も子どもの命を優先せずして協議したのか
世間という空気の支配を感じた
大学でのボランティア講座ではなからず取り上げて問題提起した
2016年熊本地震では一緒に働いた青年が故郷に帰った
小学校で教師をしていた熊本出身の青年だった
災害後学校支援に入り見るに見かねて帰郷したのだ
優秀な教師であり子どもに熱い人間だった
2018年北海道胆振東部地震は若いときに赴任していた地域だった
退職後のことでもあり災害支援にはすでに体力はなかった
被災地をつぶさに見て回りながら旧知の人への激励で終始した
全道の大停電により3日間暗い夜を過ごした
その後災害グッズを買い足したのが教訓からだった
2024年元旦能登半島地震は起こった
TVで悲報に心騒いだ
東日本大震災のように道路は寸断されていた
救援物資も人も動けない
政府は初動を誤った
県も過去の震災の教訓は何もなかった
現場の生の情報は先の災害支援のエキスパートから入る
報道されない生々しい現場と復興の厳しさに行政の緩慢さを憤った
老いた身には役立ちそうなことは全くない
資金力もなく動くことはなかった
傍観者になったことを自覚する今日の日となった
〔2025年1月16日書き下ろし。明日阪神淡路大震災から30年を迎える。災害と己を振り返る前日だった〕