三の心を授けよ

学力低下が盛んに問題提起されている

必然的な結果に驚きもしない

教師が画面越しに授業する

子どもは画面越しに学習する

さもさも進んだ学習スキルと評価した

挙げ句の果てには教科書も電子化した

 

読書習慣は身につかずネット検索スキルはアップする

終いには親がスマホの管理不能の結果の学力低下と押しつける

教師の授業力の責任も評価も多忙で片付けられる

雑用に追われ教材研究するのもままならぬと研鑽を棚に上げる

さらに塾に通えよ豪語して通えぬ子らに蔑みの目線をおくる

 

学校にも教師にも果たして期待してもムダかも知れない

そもそも学力不振だけが問題ではない

23年で異動する校長では学校経営の改革もままならない

教員なり手不足は待遇改善だけでは質の確保はなかなか至難だ

多くを求めても求めるに値する公教育なのかすら疑わしい

教育専門職といっても一概にみなが秀でているとは限らない

専門性に惑わされずその人を見る目を培うしかない

 

そこでだ

三つの心を授けられるか問う

ひとつ 自然を愛してやまない心

子どもらに自然との語らいに導く人でありたい

ふたつ 言葉を慈愛で包み込む心

子どもらに美しい言葉で語らう喜びを授ける人でありたい

みっつに 人間を愛おしく抱きしめる心

子どもらと熱きまなざしと感謝を伝え合う人でありたい

 

教育は人間教育であり

教師は人間教師であらねばならない

 

2025823日書き下ろし。授業力を評価する以前に教師の人間性が問われている〕

このブログの人気の投稿

跋渉はかなわぬ

こんなもんさ

職歴とは何か