三の心を授けよ
学力低下が盛んに問題提起されている
必然的な結果に驚きもしない
教師が画面越しに授業する
子どもは画面越しに学習する
さもさも進んだ学習スキルと評価した
挙げ句の果てには教科書も電子化した
読書習慣は身につかずネット検索スキルはアップする
終いには親がスマホの管理不能の結果の学力低下と押しつける
教師の授業力の責任も評価も多忙で片付けられる
雑用に追われ教材研究するのもままならぬと研鑽を棚に上げる
さらに塾に通えよ豪語して通えぬ子らに蔑みの目線をおくる
学校にも教師にも果たして期待してもムダかも知れない
そもそも学力不振だけが問題ではない
2~3年で異動する校長では学校経営の改革もままならない
教員なり手不足は待遇改善だけでは質の確保はなかなか至難だ
多くを求めても求めるに値する公教育なのかすら疑わしい
教育専門職といっても一概にみなが秀でているとは限らない
専門性に惑わされずその人を見る目を培うしかない
そこでだ
三つの心を授けられるか問う
ひとつ 自然を愛してやまない心
子どもらに自然との語らいに導く人でありたい
ふたつ 言葉を慈愛で包み込む心
子どもらに美しい言葉で語らう喜びを授ける人でありたい
みっつに 人間を愛おしく抱きしめる心
子どもらと熱きまなざしと感謝を伝え合う人でありたい
教育は人間教育であり
教師は人間教師であらねばならない
〔2025年8月23日書き下ろし。授業力を評価する以前に教師の人間性が問われている〕