働き者だった祖父勢吉
ゴールデンバットをくわえて薪を切る
タバコを口から離すことはなかった
ヘビースモーカーだった
夜ラジオから流れる浪曲を聴くのを唯一の楽しみにした
寡黙な老人だった
時に発せられる言葉は教えとなり強く心に残った
祖父勢吉は樺太の敷香(しすか)の映画館で雇われ支配人をしていた
祖母ヤエ子は髪結いを生業としていた
勢吉の姪佳代子が結婚する朝日本髪を結い上げた
その美しさは子ども心にいまだ強く焼き付いている
父國一は中三の15歳で予科練に志願して内地に渡った
敗戦で樺太からロシア兵に追われて宗谷海峡を渡った
着の身着のままで登別に引き上げてきた
祖母の父母は九州久留米から室蘭輪西に屯田兵で入植した
曾祖父母は開拓に失敗し幼い祖母たちを連れ厚真の山奥に開墾の鍬を入れる
口減らしに祖母は秋田に嫁ぐが息子を取られて娘を連れて離縁される
辛抱強い祖母が貧しい婚家で虐げられるも我慢を超えたのは想像できる
勢吉は渡島半島の漁村南茅部で生まれた
一旗揚げようときょうだい共々樺太に渡った
樺太に渡った詳しい経緯や祖父母の出会いはわからぬ
南茅部には伝手(つて)もなく帰郷することは生涯なかった
ヤエ子の親戚筋が登別にいたのを頼りにみな引き上げてきたのだった
ひとり弟は残虐なロシア軍に殺され戻ることはなかった
引き揚げ船が留萌沖でロシア軍の卑劣な攻撃を受けて沈没した
戦争が終わっても平気で攻撃してくるルール無視の残忍なロシア軍
ウクライナでの殺戮もプーチンと軍人にその血が流れているのだろう
戦後の不景気は引き揚げ者に失業の現実を突きつけた
60歳を過ぎた祖父には手に職もなく歳もとっていた
勢吉は失業対策事業の日雇い労務者となった
日本で最も賃金の安い労働者はニコヨンと呼ばれ蔑まれた
80の齢を迎え肩を叩かれリタイヤした
88歳の米寿を迎えた41年前の6月8日旅立った
〔2022年6月9日書き下ろし。じさまの命日を迎えて、我がルーツでもあるその生涯の一端を書き記す〕