関寛斎とあいの墓

旅の二日目 陸別に向かった

天候は曇り 雨が降らぬのは幸いか

ちほくふるさと銀河線元陸別駅舎に着いた

二人は何も気づかずに土産店に入った

めぼしいものもなく駅のホームに出た

 

銀河鉄道は2006年に廃線された

銀河線を走っていたキハ40列車がエンジン音をたてていた

乗る人もなくデモンストレーションで当時を演出していた

 

ベンチにいたガイドボランティアらしき人に声をかけた

関寛斎の資料館はどこかと

駅舎の二階を指さした

入館の方法を教わり土産店に戻った

 

店の入口の左側に資料館の入口はあった

二人は気づくこともなく通り過ぎていた

売店で入館券を買った

 

二階の資料館は二人だけの世界となった

二時間にわたって丹念に展示物と自由に閲覧できる資料を読んだ

司馬遼太郎の街道をゆくにも取り上げられた人物は

あまた多くの物書きや研究者にも取り上げられていた

圧巻は病理に関する多くの自筆の研究論文であった

特に梅毒に関する分厚い論文に目がいった

原書のコピーであったが装丁に工夫が必要かと残念だった

町教委編纂の冊子が目にとまり売店で購入した

そこに町内にある寛斎の史跡を示す地図がありスマホで撮った

帰り際旧駅舎の玄関口付近には資料館の表示は一切なかった

 

昼歯ごたえのある陸別そばを堪能した後史跡を訪ねた

曇り空はいつか晴れ渡っていた

駅前の寛斎の立像は気魄に満ちて青空の下にいた

右人さし指は西の彼方を指し開拓の揺るぎない道を示していた

 

その後が難儀の連続だった

初めてのまちで簡略化された地図はあまりに不親切だった

さらに史跡を示す案内板もなかった

町営の診療所は寛斎の名を冠したというが看板は旧名のままだった

寛斎翁石碑探しは山道に迷い込んでしまった

当てずっぷうの史跡探しは寛斎とあいが眠る墓に絞った

ルートまできては阻まれ国道に出てしまってUターンする

迷った道すがら帯広から来ていた人に有力な情報をもらった

ルートに出てようやくお墓の案内板を見つけた

道なりに行くと二手に分かれる

寛斎の小径と旧農場の分岐点だった

京の哲学の道ではあるまいが思索をした道ではと思い込み選んだ

舗装が切れた山道に入りヤバいと気づいた

折良く向こうからトラクターがやってきた

止めて墓の場所を聞いた

この林の裏だと教えてくれた

札幌ナンバーの年寄り二人が物好きによくここまできたもんだ

そんな視線を感じながら確かにその通りだと二人で苦笑した

来た道を戻るとトラクターは分岐点を指し別れていった

 

道の左側に小さな看板に関寛斎の墓地とあった

草地の脇道をゆっくり走って行き止まりになった

師は墓地の看板を見つけ草道を指さした

午後の陽ざしを浴びながら800メートルを歩いた

トドマツの林の中に一本の坂の参道があった

手すりにつかまりながら滑る足下を気にかけたどり着いた

 

埋葬の地は長年行方不明になっていたという

陸別関寛斎顕彰会が2006年に土饅頭を発見し目印の杭を見つけた

土葬された寛斎と札幌で病死した妻あいが密かに眠っていた

顕彰会が設置した墓誌には

寛斎と妻の開拓への思いが詰まった名文が刻まれていた

「我が身をば焼くな埋めむなそのままに

斗満(とまん)の原の草木肥やせよ」

 

その地に立ち静かに合掌し参道をおりた


帰宅後なぜ人知れず長い間放置されてきたのか疑問がわいた

 

[2022年7月6日書き下ろし。19時半札幌に戻った。幕末から明治を生きた関寛斎に出会う旅は鮮烈であり新鮮だった。旅の疲れが心地よく襲う]

このブログの人気の投稿

忌憚なく

袖のノイズ

予期せぬ変調