人間の楯になるのか

貧しき農民は徴兵された

涙を浮かべた妻と別れの抱擁をした

妻は生きて戻ってとささやいた

 

持たされた銃は錆びついていた

軍服も軍靴もなかった

兵舎にはベッドすらなく床で寝た

戦闘の為の訓練もなかった

 

前線に連れて行かれた

徴集の時に聞いた話はみんな嘘だった

ウクライナの広い農地は実りの時を失った

かの地に生きる農民の憤怒を想像し胸が痛んだ

下士官は一兵卒を哀れんだ

統制すら危うい露軍だった

 

これが露軍の前線かと目を疑った

兵站は滞り始めていた

武器も弾薬も食糧も薬品も不足していた

現地からの調達にも限界があった

死に場所を無駄に探しにきただけだった

 

火薬の臭いと血の臭いがした

ウクライナの熾烈な攻撃が続く

反撃できず撤退命令が下った

取るものも取り敢えずみな逃げ出した

敵の追撃にハラハラしながら敗走した

軍を立て直す手立ても占領地に捨ててきた

 

農民はこの戦争の愚かさを知らされた

狂った男に人生を台無しにされた

農民は兵士として役立たずだと知った

錆びた銃は使い物にならない自分だと知った

農民はこの戦争に大義はないことを知った

人間の楯になるだけのいかれた部分徴兵令だった

農民は愛国者ではなく愛郷者だった

貧しくとも家族と暮らす少数民族のひとりだった

 

クレムリンの嘘は許せなかった

ある農民は冷静だった

逃げなかった

クレムリンの命令を無視した

ある農民は自ら命を守ろうとした

逃げなくてよかった

クレムリンの敗北を予感した

ある農民は自ら捕虜になった

人を殺さなくてよくなった

クレムリンは敵前逃亡を非難した

ある農民は国の行く末を見た

裁かれるのは狂気のクレムリンだと 

 

[2022年10月3日書き下ろし。ウクライナ軍が東部ドネツク州の要衝リマンをロシア軍の支配から奪還した。ロシア側には自軍撤退への批判とともに、核兵器使用も含む強硬論が出ている。派兵された農民はその目線で戦場となった農地を見よ]

このブログの人気の投稿

忌憚なく

袖のノイズ

予期せぬ変調