祖父勢吉44回忌
「歴史を記す…後生に伝えるべき義は、過去にあって人を生かし、今の世にあって人に生きる義を教えるべきものでなくてはならない」(『光圀伝』冲方丁著・角川書店・2012年刊)
市井の男の一人だった
函館の近隣南茅部で生を得た
尋常小学校4年で卒業した
箱に砂を敷いて文字を練習した
小さな身体だった
貧しいがゆえにきょうだい三人で樺太に渡った
敷香の映画館の支配に雇われる
祖母ヤエ子は髪屋をしていた
父は姉と二人不自由なく暮らす
戦争は父の運命を変えた
中学を辞め予科練に内地へと旅立った
ソ連は日ソ不可侵条約を一方的に破り南樺太に侵攻した
一切の家財道具を棄て引揚船に乗った
乗り遅れた弟は留萌沖でロシアに撃沈された
知人を頼って登別に住んだ
戦後失業者の救済のために失業対策事業が全国で展開された
60歳を超えた祖父には仕事はそれしかなかった
80歳まで20年間仕事を続けた
事務屋の指は骨太になった
孫の中でも長男は特別だった
家に来るなり「かず居るか」と言って入ってくる
壮瞥町仲洞爺小学校に着任したときもついてきた
テレビがないと知って翌週電気屋のトラックでやってきた
辛抱しながらも仕事で貯めたお金が使われた
想い出しながら涙が止まらない
失対労務者は「ニコヨン」と蔑称された
日銭240円から派生した言葉だ
側溝や歩道の整備の土方仕事
雨が三日も降れば干上がるとも言われた
働く祖父を見かけると声をかけた
嬉しそうにする笑顔がたまらなかった
雪解けの春先家に遊びに来た祖父を送った
歩道に敷いた四角なコンクリ板が所々凸凹していた
一カ所だけ真っ平らな所があった
祖父はそこを指さしながら言った
「これがじいの仕事だ」
最低賃金で働く労働者であっても義に生きる
律儀で丁寧な仕事ぶりを孫に示し伝える
時代に翻弄されながらもなおも仕事への義に生きた
歴史上の強者よりも祖父の生き方に心惹かれる
悪行悪業悪弊しかない義が通らぬ時代に思う
仕事への誠意を尽くすことの意義を学ぶ
我が歴史に祖父の義を確かに刻み子・孫らへ伝える
己を人として生かす道へと導いてくれると信じる
〔2024年6月8日書き下ろし。何度も祖父勢吉とのエピソードを書く。鮮明に記憶を呼び起こす作業が命日かもしれない。娘夫婦と栃木から娘の義父母もたまたま来られる。いい供養の日となる〕