見つけなさい

「悩みに直面する子どもたちにも伝えたいことがある。1人で不安を抱え込まず、信頼できる大人や友人に伝えてほしい。支えてくれる人は必ずいる」(道新社説2026824)

 

夏休みが終わる

類似の社説や記事が出まわる

社会発信しているとポーズを取るのか

毎年のいつものフレーズはかわりばえしない

響かない言葉がいつも冷めていく

 

登校拒否も自死にも囚われた子らには目に触れない

自死願望を止める手助けはあると書かれても

自ら捜させと訴えているのか

そばにはだれもいない事実を確かめるだけのこと

信頼に足る大人も友もいない

だからひとりで悩み苦しむ

 

支えてくれる人は必ずいる

どうして言い切れるのか

個々の事情を省みず言い切る

いるはずだと言いながらいなければどうする?

心身にダメージを負った子に捜させるのか

大人の領分でしかない乾いた言葉に翻弄される

そしてまた子は疲弊していく

 

無責任な言い分が子をさらに追い込む

学校に対しての信頼性の欠如も否定できない

面倒を抱え込みたくない拒絶のサインを感知する

教師は多忙性を理由に子のサインを見落とす

級友はレッテルを貼り遠ざけ無関心を装う

親には心配かけまいと明るくふるまう

人間のつながりに疲れた子らに気づく力が求められる

どこにいけば信頼に値する人に出会えるのか

 

学校や社会から自分の居場所を失う

登校拒否は社会的に黙認され卒業まで猶予される

学校は登校可能な子を受け入れるだけの機関となる

定期的な働きかけの有無が評価されるだけのことだ

不登校児は学年を引き継げば解放される

名目上卒業すれば責任は回避される

なんと事務的な対応で事は進み子は排斥される

 

もしも自死が生じれば学校の責任の有無が問われる

事件性がなければ当然学校は逃れる算段を講じる

個々の心身の問題や学業不振と進路の悩みと報告する

家庭不和というわけの分からない理由付けで回避する

いじめが原因で表面化したときには焦る

部活での指導死は犯罪として訴訟される例もある

翌年の異動で事件をうやむやにする常套手段を用いる

 

さて「支えてくれる人は必ずいる」」

一方的な物言いになってはいないだろうか

言葉だけならもういらない

捜せません

だから「私を捜してほしい」

 

命の電話の相談員の最初の一言

「電話をかけてくれてありがとう」

ここから始まる信頼づくりです

社説の一般論では「ありがとう」は伝えられない

 

2026824日書き下ろし。数社の社説を毎朝読む。道新の社説は正論であるが、「支えてくれる人は必ずいる」に引っかかった。子どもに見つけさせるのかと。

P.S シンガポールの読者が戻ってきてくれたことに感謝します〕

An English version of my Poem in “kokorookinaku2.blogspot.com”


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