一筋の涙
帰り際別れの言葉をかけた
生きてくれと願いを込めて
見えぬ右目から一筋の涙が流れた
声がつまった
生きてまた会えるのか
慟哭の予感がした
もう1年になる
彼の妻から肺炎を起こしてる
知らせを聞いて釧路までの高速に乗った
病室で再会した驚きの顔と声が上がった
妻はその様子の歓喜した
それから10月1月2月3月と見舞った
3月病院から退院勧告を受けた
療養型病院ではないことと
これ以上の治療はない
透析の出来る転院を勧められた
面会条件を満たす病院はなく
妻は札幌への転院を決めた
面談に同席してベッドが空き次第とのことだった
転院の日程が決まって2度流れた
期日が近づくと肺炎を起こした
行きたくないという抵抗だ
命がけの抗議に医師も腹をくくった
最期までここでという決定を受けた
痰がたまる
むせながらいた
身体には腕に透析の管
足に輸血の管
鼻にチューブが入っている
毎食250CCの流動食が胃に入る
1時間ほどで終わる
痰もこのチューブから吸引する
面会時間30分は1時間を過ぎていた
看護師から促され退室する別れ際
一筋の涙を見た
何を訴えたいのか
言葉を失い意思表示もままならない男の涙
もうこれ以上という意味なのか
頑丈だった体躯は痩せ細った
右肺はたび重なる肺炎で機能不全を起こす
片肺飛行の綱渡りが続く
微熱は頻繁に起こり抗生物質で炎症を抑える
繰り返される日常で生命を維持する
尽きる命だったのにと強健さに医師は驚く
今際の際まで闘い続ける彼に試練を強いているのか
彼の意思を聞けぬままいまに至ることに
妻は葛藤を続ける
別れ際その時の判断は決して間違ってはいない
状況が変化する中で常に彼の身になって判断したんだ
手を尽くせたかと必ず後悔はくる
彼への思いを引き受けた重さなのだと
父母への看取りを悔いている己への言葉だと諭した
そして葬儀に言及して妻の意向を確認した
小さな肩が寂しげだった
今日も300㎞を往復した
1年前より確実に体力は落ちた
夜間の高速道路は無謀に思えた
14時過ぎ池田と帯広の高速で
衝突事故に遭遇した
救急車両も警察も現場に到着するには出入り口は限定されている
通行止めが流れたのは通過してからややしばらくしてからだ
迅速な救命と自己処理の困難さを知らされた
ニュースで妻は事故を知った
無事に着いたかと気をもんでいた
16時半帰宅した一報をメールした
77歳の老翁もまた心配の種を残しつつ在る
〔2026年9月7日書き下ろし。釧路の朋友を見舞った。今日は完全休養とする〕
An
English version of my Poem in “kokorookinaku2.blogspot.com”